ADELA CAMPALLO&EL CHORO

2017.11.17

毎年恒例のソニアジョーンズ・カレンダー、 昨年に続き今回もタブラオ・ガルロチとコラボです。 12月来日のアデラ・カンパージョを舞台より先にカレンダーでご覧いただけます。 アデラのデザインした衣装、彼女の選んだセビージャのお気に入りの場所で、彼女のこだわりたっぷりで撮影しました。アデラ15歳の時、 当時タブラオが「エルフラメンコ」だった時代の半年間、ステージに立った時以来、日本のタブラオ出演は25年ぶりです。 アデラ・カンパージョの研ぎ澄まされた最高な今の踊りからは想像のつかない、彼女の人生の軌跡を彼女自ら、ふとした世間話で語ってくれました。 2005年、車に乗っていたアデラ、交通事故に遭いました。被害者でした。 事故としては大きなものではなかったのですが、 手足が麻痺し、コップを持つこともできず、腕も上がらず、階段すら登れない、足も上がらない状態になりました。 医者もよくわからず、重要視もされず、5ヶ月後に出会えた医者が彼女を救いました。 事故で痛めた首が脊髄に影響しているため、 首の手術をすることになったのですが、場合によっては全身不随となって、踊れなくなるどころか起き上がることすらできなくなるかもしれないという宣告を受けた、崖っぷちに立たされたような手術前の日々。 この時の自分の心の状態を書き綴ったものを大切に保管してあるそうです。 手術は成功しましたが、42日間石膏のコルセットで首を固められ、アデラの首には3か所の手術痕があり、首にはチタンの板が入っています。 今も、そして生涯ずっと。 首のコルセットを外してから、踊れないアデラをステージに引っ張って、踊りの世界に戻らせてくれたのがアントニオ・カナーレス巨匠だったそうです。 できる範囲内の踊りで舞台に立たせてくれたのでした。しばらく回転もできませんでした。吐いてしまうのです。ステージの袖に行っては吐いてました。三半規管もダメージ。今でも大きすぎる音は水中にいるような感じで聞こえます。 動きでも、首を後ろに反り返らせて回転できないとか、この事故が原因で、物理的にできないと制限される体制も幾つかあります。 その代わりに他の多くのことを自ら学んだとアデラは言います。 できなければ他の表現の仕方を探す。 自分の踊りの世界が広がった!!!! 20代後半、事故に遭ったことでアデラの人生全てが変わりました。 身体の筋肉を常に緊張させていないと身体中に痛みが走る、、、 つまり、常に踊っていないといけない状態で、踊る、踊る、踊り続ける人生。 事故の3年後、自分の身体はどんどん衰退していくのかもしれない、、、 と、不安を感じ決意し、2児の母になりました。 これがまた事故を超えるアデラの大転機になったそうです。 自分の中で事故なんかほんの小さな事実になってしまい、彼女の中の人生の最大の事件は母になったこと。踊りにおいてもそうで、本能的な女性の持つ特色なのか、察する感覚が研ぎ澄まされ、自分の踊りの中にも入り込み、大地を踏みしめ、土の香りを感じ、味わいながら、Sentimiento,心、この聖なる感覚がビンビンに稼働して、フラメンコを今踊るのだそうです。 メキシコの公演のために赤ん坊だった子供をスペインに残してきたアデラに、 子供に何か起きている!!!!!と言う虫の予感が走り、 国際電話で呼吸困難に陥ってる状態の息子に気づいたこともあるそうです。 母の偉大な直感なのかもね、とアデラは気さくに話しますが、今ではこの子供たちが中心となって幸せに生きることが自分の人生であり、そう簡単に長期で日本にも来ることができない、、、ということで、今回の25年ぶりのアデラのガルロチ来日が決定しました。 ここに記した事故の後遺症の事実、 これを知ってアデラの踊りを見たら、皆さんがどうなってしまうのか、、、、 いいのかなあ???観客の心臓に悪いかな?嗚咽に成っちゃうかなあ? と心配にも思いますが、みんなで泣いてしまえば大丈夫。 何も知らずに私もスペイン内でアデラ・カンパージョの踊りを見てきていますが、 ま、まさか、、、 と私自身も今自分で思えます。 日本人は算数得意だし、15歳の時以来の25年ぶり来日と書いたら、25+15で、40歳だ、ってみんなにわかっちゃうけどいいの?と本人に確認したところ、 「私は私、隠すことなんて何もない。今のこの私を見て欲しい」と直球の返事でした。 アデラ・カンパージョ。必見です。本当。 (書き忘れましたが、ラファエル・カンパージョの妹です。)お見逃しなく!!!!

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